高松塚古墳 (被葬者は誰か?)
高松塚古墳に埋葬されていた被葬者は誰か?
「高松塚古墳に埋葬されていた被葬者は誰か?」
被葬者として挙げられている人物が数名いますが、必要な波動測定を通してその誰かを推定していきたいと思います。
下記のサイトを参考にして、いろいろ進めていきます。
高松塚古墳は、45年前の1972年3月に発掘調査が開始されました。
肝心な被葬者ですが、その候補としては数名挙げられてきました。
リンクサイトに詳しく書かれていますが、歴史学者や大学教授や関係研究者によって様々な観点から被葬者を推測する説明がなされていますが、未だに被葬者が誰だったかは特定されていません。
被葬者も謎ですが、石室の周囲の壁に描かれてある壁画にも波動的に不思議を感じます。
他にも、高松塚古墳から南へ1.2キロ、阿部山集落の北で発見された、この高松塚古墳と関係しているキトラ古墳があります。
このキトラ古墳の石室の壁にも、高松塚古墳の壁画と類似したものが描かれてあるということで注目されています。
この両古墳の壁画の謎解明は、また波動測定をしてからになりますが、それは今行っている人物測定がほとんど終了してからです。
人物測定が終了した後計画している「世界の不思議解明」の時になりますので、まだずっと後になります。
話を高松塚古墳に埋葬されていた被葬者は誰か?に戻しますが、リンクサイトに載っている高松塚古墳に埋葬されている被葬者の候補として挙げられている6名の波動測定をします
その結果で被葬者を推定していきたいと思います。
リンクサイトに載っている人物を引用します。
全部で6名です。
●大宝律令の編集を進めた忍壁皇子(おさかべのみこ、705年没)
●古代最大の内乱といわれる「壬申の乱」(672)で活躍した高市皇子(たけちのみこ、696年没)
●万葉集に多くの歌を残した弓削皇子(ゆげのみこ、699年没)
●大友皇子と十市皇女の間に生まれた葛野王(かどのおおきみ、706年没)
●人臣最高位の左大臣まで登りつめた石上麻呂(いしかわのまろ、717年没)
●渡来系の百済王禅光(ぜんこう、693年没)
(参考として) 25歳で崩じた文武天皇(707)
これから必要な波動測定と人物測定の結果を比較検討して、この中から一番近い高松塚古墳に埋葬されていた被葬者を推定していきたいと思います。
まず、高松塚古墳の波動レベルですが、被葬者の骨が高松塚古墳の近くにある納骨堂に納められていますので、その入り口を波動測定しました。(サイトに画像が載っています)
結果は、振動レベルのP6です。
次に、古墳内と壁画の波動測定の結果です。
壁画は、すでに以前測定していますが、その一部の振動は私自身も実際に活用してきました。
その内容は、どこかに書いたような・・・、という記憶がありますが定かではありません。
古墳内と壁画は、振動レベルでP7あります。
本当は、被葬者の骨が発見されているのですから、その骨の画像を測定すれば意識レベルだけでなくもっと詳しいことが分かり、誰が被葬者かにかなり近づけます。
ただ残念ですが、どこを検索しても被葬者の骨の画像は見つかりませんでした。
しかし、このような記事を見つけました。
「漆塗り木棺(重要文化財)で、遺体を安置した跡が微妙に残っているという説もある」といった興味深いものです。
遺体が安置されていた中央部が人の形にくぼんでいるように見えるというその木棺の波動レベルは、果たしてどの程度か。
さっそく、その木棺の中央部のくぼんでいるところを波動測定してみました。
結果はP7ですので、その意識レベルの人が安置されていたとなります。
あとは、人物のARRで近づくしかありません。
リンクサイトに載っている6名のARRの結果を並べていきます。
この中で、忍壁皇子は最近ARRをしましたので、その結果はこちらをご覧ください。
忍壁皇子・・・P7
高市皇子・・・N1
弓削皇子・・・P1
葛野王・・・・P4
石上麻呂・・・N2
禅光・・・・・P2
(参考として) 文武天皇・・・P2
忍壁皇子は、日本人ARRでは695年の意識で行っていますが、亡くなる705年までずっとP7ということでした。
ここまでの測定結果を比較検討して判断すると、高松塚古墳に埋葬されていた被葬者は、忍壁皇子が一番有力となります。
P4とP7は、質的にはまるで違うといった意識レベルです。
2017年8月2日