自然霊 〜 霊視・交霊術・占い・予言・座敷わらし・イタコ

今回はいろいろな角度から自然霊に関係するものについて説明してみたいと思います。
自然霊が関わることでは様々な現象がたくさんありますので、その一つひとつを取り上げて「これはこういうことだ」と断定することは出来ません。
あくまで、今回は大雑把ですが基本的な見かたとして捉えて欲しいと思います。
まず、テレビでも取り上げられたこともありますのでかなりの人が知っていると思いますが、「座敷わらし」が出る宿の話からです。
その宿は、岩手県二戸市の旅館「緑風荘」です。

この宿は2年先まで予約でいっぱいだったようですが、残念ながら今月4日に全焼しました。
では、「座敷わらし」とは何か、その正体は一体何なのかをいろいろな角度から調べてみたいと思います。
「座敷わらし」については、いろいろな説明がありますので、検索してそちらを参考にしてください。
「座敷わらし」の本当の正体がどういうものかは、まだその答えは出ていません。
ここでは波動測定でいろいろと迫って行きたいと思います。

まず、「座敷わらし」が多く出るという旅館「緑風荘」の部屋です。
上のリンクの写真を見てもわかるように、部屋のまわりに人形がたくさん置いてあります。
今となってはその部屋もありませんが、まだ写真があるだけでも測定するには十分です。
この部屋を波動測定してみました。

測定結果です。
この部屋全体からとても強い集中を感じます。
それも頭のある一点にです。
測定したあと私は、「この集中点はどこかで測定したことがあるなぁ〜」、と以前測定したという記憶がフト過ぎりました。
こういう風に思い出すというのは、その集中点がかなり強い印象として残っているからだと思います。
このようなときは意外に早く思い出せます。
この「座敷わらし」がよく出るという部屋と同じ集中点があるのは、それは人です。
エドガー・ケイシーでした。
以前行なった、エドガー・ケイシーの測定内容はこちらをごらんください。

全体的な結論は、まだ測定してみたいものがありますので、その分析をしてからにしたいと思います。
今は、「座敷わらし」がよく出るという部屋とエドガー・ケイシーの集中点が同じということだけ覚えておいてください。
「座敷わらし」がよく出るという部屋、エドガー・ケイシー、と続いたとき、ここで、私の意識にまたフト浮かんで来たものがあります。
それは、「イタコ」という言葉でした。

下北ナビ

「イタコ」とは、東北地方で口寄せ(死者の霊などを自分の身体に降ろして語らせる行為)を行う人のことを言います。
「イタコ」という言葉のあとに、連想で次々とキーワードが出て来ます。
イタコ、交霊術、自然霊、霊視、占い、予言、また自然霊、集中点、アンテナ、情報キャッチ、ウソホント、精神世界・・・。
ここですぐ測定! パソコンから「イタコ」の画像探しです。
「イタコ」という言葉と連想が自動的に出て来たおかげで、何となく一つのつながり、共通点があるのではと、少し期待もありました。
というのも、この「イタコ」の集中ポイントが分れば、霊視、占い、予言などが何故出来るか、またその集中点が共通して一致すればかなり真実に近づくことが出来ると考えたからです。
ここまでは、まだ私の推測で動いている状態です。
もしかすると、まったく違う結果になるかもしれません。
もちろん、私自身はそれがどういうことかを知っているのですが、しかしそれをなるべく誰にも受け入れられるように結論付けるには、たくさんの共通点がどうしても必要になります。
また、その集中点がはっきりすれば、その能力開発(霊視関係)やエドガー・ケイシーのリーディング訓練も効率よく進めることも出来ます。
あいまいな何々とつながるといった方法ではなく、はっきりとした目的と集中で訓練して行けるようになるわけです。
あくまで、目指すならエドガー・ケイシーのようなリーディングが理想です。
エドガー・ケイシーの測定結果にも、そのようなレベルのことは書いてあります。

私はこれまで、「イタコ」の測定はしたことがありません。
この測定結果は、あとあと大きな影響があります。
「イタコ」の測定結果です。
検索で写真が載っていたサイトから数人の「イタコ」の波動測定をしました。
やはり思ったとおり、全員の集中点は一致しました。
フト、感じたことはいいヒラメキでした。
「イタコ」という仕事をしている人達の集中力と集中点は、「座敷わらし」がよく出るという部屋、エドガー・ケイシーの集中と完全一致しました。
ある「イタコ」の名刺が載っているサイトがありましたので、その名刺まで波動測定をしました。
やはりそっくりそのまま、同じ集中点の波動を感じました。
名刺であっても、本人のものですからその波動が入っているのは当然ですが。
これで、大体の謎が解けました。

私がまず気づいたのは、「座敷わらし」がよく出るという部屋の集中点です。
部屋にその集中が残っており、その集中ポイントが前頭部の奥の点で強く感じます。
ここで考えたのが、ある面アンテナ的な役目としての集中点がこの部屋に波動として浸透しているのではないかということです。
そこで、その集中点で思い出したのが、エドガー・ケイシーだったのです。
エドガー・ケイシーの集中点とこの部屋は、同じポイントに集中しているということまでわかったのですが、集中の強さや透明感はエドガー・ケイシーの方が断然高いレベルです。

エドガー・ケイシーとこの部屋の共通するところを霊視のポイントから考えてみます。
結果的から先に言いますと、エドガー・ケイシーの能力は高いレベルの霊視ですが、それは自然霊との交霊によって情報を得ていたとなります。
この「座敷わらし」がよく出るという部屋も霊視的アンテナとしての集中があるというのは、波動からもはっきりしていると書きました。
ここに宿泊したお客さんの中に、自覚は無くてもこの波動と同調しやすいものを生まれつき持っていた人もいたと思います。
そのような人がここで、「座敷わらし」(自然霊)を感じたということになります。
あるテレビ局のスタッフがその部屋に泊まって、部屋の様子を別な部屋で監視しながら撮影したビデオも見ました。
その時に光が動くところが映っていたり、何も仕掛けがないのに人形から音がしたりするのが入っていました。
それも自然霊のイタズラ程度のものだと考えています。
ヨーロッパのどこかにもありました。
これ以上に大きな現象は「ポルターガイスト」と言いますが、日本ではほとんど聞きません。
そのうち、調べられるならこの「ポルターガイスト」が何であるか、その波動や集中点を探ってみたいと思います。
この「ポルターガイスト」の正体も、私は自然霊だと思っています。
自然霊がどういうものかを詳しく説明すれば、もっと心霊現象的なことも理解出来ると思います。
しかし、それにはかなり神秘霊的な内容の理解も必要になり、その説明自体も長くなりますのでここでは出来ません。

このように考えていくと、「イタコ」についても集中点が同じということで説明が付きます。
自然霊は人間の意識を読み取ることが簡単に出来ます。
ですから、「イタコ」をからかうような嘘、たとえば生きているのに死んだ誰々さんに会いたいと言ってその人の印象を自分の中で完璧にイメージすることが出来れば、自然霊はそれを読み取り、それから情報を得た「イタコ」はそのまま感じたものを相談者に伝えるということになります。
自然霊のすべてが同じレベルということもありません。
自然霊はたくさんの種類がありますので、そのレベルも働きもさまざまです。
低いレベルの内容に寄ってきやすいのが低級霊と言われているものです。
くれぐれも低い心霊的なものを相手にしないように注意してください。
波動、波長があったら、その波動はいつの間にか自分の潜在意識に浸透してしまいます。
いったん潜在意識に入ったら、ほとんどの人はその波動を自分の力では除去出来ないでしょう。

自然霊は人が気づかない、また絶対分らないちょっと先の未来のこともかなり知ることが出来ます。
その自然霊の持っている、または知っている情報をうまく引き出すアンテナ(集中点)を訓練して伝えることが出来るのが、かなりレベルの高い占いや予言というものです。
ただし、自然霊は本当のことをすべて開示するということはありません。
ですから、当るときもあれば外れることもあるのです。
このようなものは、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」で、全面的に信頼出来るものではないということです。
長年修行した占い師や予言者は、それまでに得た内的智恵や推測も入れながら判断していると思います。
ですから、占いや予言をまともに信じては、あとで大きなダメージを受けることもあるということになります。
うまく利用するようにすればいいと思います。

霊視についても同じことが言えます。
現代はスピリチュアルビジネス的に、けっこう簡単に霊視とかりーディングだとか、意外に大したことのない内容レベルでやっている人も多くなっています。
あまり調べても意味ないのですが、以前このような霊視をやっている人たちの集中を測定したことがあります。
結果的には、今回説明した集中点にある人はほとんどいませんでした。
チャネリングもそうです。
私の霊視の基準は、人間レベルではエドガーケイシーに置いています。
今回は、自然霊との関係でも実績のあるエドガーケイシーの集中点と一致したということは、かなり信じられる方向に近づいたと思います。
ただし、エドガーケイシーはサハスラーラという霊的神秘点には集中がありません。
サハスラーラという霊的神秘点は、霊視を越えた霊的意識回路を開く道です。
ということは、自然霊といってもそれを4次元レベルと考えるよりは、この世の意識より少し高いレベルに過ぎないと考えて良いかもしれません。
手を合わすことも、恐れることもないでしょう。