イエス・キリスト   

今回は、イエス・キリストのアカシックレコードリーディングです。
紙に必要事項を書き、それを手のひらに乗せてリーディングを始めます。
そのまま30秒くらいじっとしていると、頭の中に変化が現れてきました。
その集中ポイントが、だんだん強くなっていくのがはっきり感じていきます。
その感じはますます強くなっていきますが、そのエネルギーの感じに少し驚きを感じています。
同時に、少し動揺しているのか、こんな思いにもなっていました。
「このままで大丈夫かなぁ・・」深い意識で、自然にこんな思いが・・。
このようなリーディング意識で、終始驚きと感動の中でイエス・キリストの根本意識を感じていたのです。

「このままで大丈夫かなぁ・・」
イエス・キリストなのに、私は深い意識の中で、一体何に不安を覚えたのでしょうか?

では、順にイエス・キリストのリーディング内容を説明していきたいと思います。
まず、イエスの意識集中ポイントは、ただ1点のみです。
それは、最初に私の頭の中に変化が現れたところです。

初めてイエス・キリストのリーディング集中をしてから、その後にも数回このリーディングをしていますが、イエスの1点だけの集中ポイントはいつも同じでした。
この集中ポイントは、これまで多くの人物の意識測定をして来ましたが、誰もそのポイントに集中している人物はいませんでした。
イエスと同じところに集中ポイントがある人物は、今回アカシックレコードリーディングで判明した釈迦、ただ一人です。
これについては、前回釈迦・仏陀で説明したとおりです。
今回は、釈迦についても、もう少し詳しい説明を付け加えたいと思います。

私は今回のイエス・キリストのリーディングで、「生命の樹」と霊界(アストラル界)、そこに共通する霊的意識の秘密をこれまで以上に掴めたように感じました。
昨年は、チャクラの段階と霊的意識の関係を「生命の樹」に関連させて、見えない内的誘導によって理解させてもらいました。
これで、神と人間をつなぐ意識の中に潜む秘密、それは霊意識ですが、その法則的仕組みがさらに明確に顕れて来たという感じがします。

イエスの集中ポイントは、波動振動測定で気づいた特殊振動点、それを私は第8、第9チャクラと解釈したのですが、最初はその第9チャクラのところだと思っていました。
その第9チャクラの位置に集中ポイントがある有名な人物にモーツァルトがいます。
しかし、よく注意してイエスや釈迦の集中点を確かめてみると、どうもモーツァルトの集中点とは若干の違いがあるのです。
この若干の違いが、実は大きな違いになるのですが。
そのポイントの振動の質まで考えると、どうしてもイエスや釈迦とモーツァルトとの意識を一緒にすることが出来なくなりました。
実際に、エネルギー的にもまるで違います。
イエスや釈迦の振動点は、厳密に言えば、モーツァルトの振動点よりちょっと上というか、その斜め後ろ上側にあります。
この集中点はけっこう精妙なレベルですので、最初は驚きが強くそこまでしっかり調べるまで意識が向かなかったのです。
これで人間意識の振動点とチャクラ、それに質や霊的エネルギーの関係がはっきり分かりました。

私が知っている振動点をチャクラに対応させて言うと、これまでは第8、第9チャクラまでになります。
「生命の樹」には、10個の光球(セフィラ)があります。
それから考えると、最後のチャクラ、それは第10チャクラになりますが、その最高点がイエスと釈迦に共通してある振動点と考えてもいいかもしれません。
この段階になると、チャクラがどうのこうのというのはそれほど大事ではなく、やはりその振動の質に関することが一番重要になります。
このイエスと釈迦の振動の質については、あとで詳しく説明します。
波動振動測定の中でこれまで知られていなかった特殊振動点の一つが新たに加わって、全部で3つになりました。
これからの波動振動測定は、これですべての人物の意識レベルが出ると考えています。

では、イエスと釈迦の意識が集中している、この集中ポイントについて話してみたいと思います。
イエスの集中ポイントは、ただ1点あるのみと言いました。
釈迦は、4つの集中ポイントがあると説明して来ました。
釈迦の最上位集中点は、イエスの集中点と同じですが、その集中度合い、要するにその集中点から出て来るエネルギーの強さでいうと、釈迦はイエスの半分くらいの強さです。
だから、釈迦はイエスよりレベルが低いということではありません。
イエスと釈迦の霊的意識は同等だと、私は思っています。

釈迦は、この集中点以外、他に3つの集中点があります。
その他の3つの集中点から、釈迦の意識振動の感じを表現すれば、この世的とか人間的というものを感じます。
サハスラーラはそれほど感じないので、2つの集中点で言えばアナハタとマニピュラの位置です。
これが、愛と生命力に関係しているところです。

反対に、イエスの振動はただ1点集中ですので、その集中点は霊界直結チャクラというしかありません。
霊界直結チャクラといっても、このイエスの1点集中ポイントは、肉体的部位と対応しているところはありません。
釈迦も仏陀ですから、霊界直結意識ですので、この点においては同じことが言えます。

イエスの意識の感じは、真理、霊的法則そのもので、人間性という点では、振動の質からも釈迦の癒し系よりは悟り系そのものという感じです。
それでありながら、イエスは「愛」を説いているのです。
ですからイエスの説く「愛」は、真理的、霊的に土台を置いて考えた方がピッタリくるはずです。
真理的、霊的に土台を置くというのも難しいことだと思いますが・・。
釈迦の「愛」は、前回も述べましたが、人間的やさしさの面が強いのです。
そのエネルギーも、非常に軽くやわらかく、心地いいものです。

もう一つ、イエスはサハスラーラにも集中点がありません。
これは、本当に不思議に感じます。
これまで測定して来た聖者クラスの方々は、必ず強いサハスラーラ集中があるからです。
釈迦も、サハスラーラ振動はそれほど目立つものがないと書いたように、完全解脱になると、サハスラーラ振動も関係ないということかもしれません。
しかし、この世的に意識段階を上って行くためには、このサハスラーラチャクラ訓練、振動は絶対必要なものなんです。
それは霊的回路を開く、その準備として必要か、または意識的人間進化の過程で開かなくてはならないのかもしれません。
こんなことを意識していなくても、生まれつきそこに振動がある人もいますので、それは前世的な意識の引継ぎによるものだと考えています。
サハスラーラは、悟り系でなくても「愛」の意識レベルでも開くものです。

ここで、私なりに納得する一つの結論が出て来ました。
それは意識集中ポイントから言えることですが、釈迦は輪廻転生の中で仏陀意識に達したのですが、その最上位意識ポイントは、イエスにおいてはそのすべてがイエス自身の意識で、キリスト意識となっているということです。
仏陀意識もキリスト意識も、最高級霊意識では同等です。
イエスの1点集中の最高級霊意識は、霊界そのものの意識と考えていいかもしれません。
これが真実であれば、イエスは、輪廻転生とは無関係な霊界からある使命を持ってこの3次元地球に降りて来た4次元魂ということになります。

聖書に、イエス誕生の時「東方の三博士が星に導かれてイエスを礼拝しに来た」とありますが、この三博士もイエスの使命遂行のために準備していた聖者でなければ、話がつながらなくなります。
これは、母マリアの意識振動からも言えることです。
母マリアについては、次回がイエスの母マリアのアカシックレコードリーディングですので、そのときに詳しく説明します。

サハスラーラ集中は、人間世界における解脱の最終点として捉えるべきもので、それ以上の大悟に向かう意識レベルではそのサハスラーラ振動もだんだん薄らいで行く、もう必要なくなるのかもしれません。
第8、第9チャクラにもそれなりの意味がありますが、ここではその説明は省きます。
人間意識で言えば、顕在意識バリバリの人が大なる意識向上の結果、潜在意識だけで顕在意識のすべてのことまでカバー出来るようになるということです。
そうなれば、もう顕在意識の必要性など無くなってしまうでしょう。
サハスラーラを超える意識というのは、このような例で考えてみれば分かりやすいかもしれません。

この点についても、4回目に登場する空海のリーディングで、空海が入定する年、その時の空海の意識振動の質で説明出来ると思います。
とにかくイエスの1点集中ポイントの感じは驚きで、それはどんな感嘆詞をすべて並べたとしても、まったく足りない、またそれに近い表現もできないものです。
それより、その感じをどう表現していいか、これも考えてしまうくらいです。

おそらく、その感じの影の部分にさわった表現にしかならないと思いますが、イエス・キリストの意識振動の感じをこれから話してみたいと思います。

初めてイエスのリーディングに集中していると、脳のある一点、もちろんそこはイエスの意識集中ポイントになりますが、ググゥッとある存在感を感じてきました。
それはだんだん強くなっていきます。
だんだん強くなるといっても、まったくその強さの感じが違うのです。
意識の中ですが、何か感触的なものがあるかというとそうではなく、そうではないがすごいというレベルが分かるのです。
これまで知っている振動レベルと、まるで質が違うのでそう感じたのかもしれません。
しかも、その集中点は1つですからとても分かりやすいのです。
本当に、ずっとリーディングしていても、その集中以外のところに少しの振動も表れて来ないのです。
これだけでも、とても分かりやすい振動だということが理解できると思います。
本当は、振動というより霊的エネルギーといったほうがピッタリです。
それに集中しているだけで、自動的にそのイエスのエネルギーの世界に引き込まれてしまう感じです。

その集中点は、完全に一つのエネルギーの出口といった感じで、私の体全体に広がって行くのがはっきり感じられるのです。
その感じを一言でいえば、「すごい!」としか表現できません。
何がすごいのか
初めて知った、感じたエネルギーだからそういうしかありません。
私自身、これに似た振動(霊的エネルギー)など、これまで一度も体験したことが無いものです。

今この瞬間です!
今、このようなことを書いている間も、実際に私の中でそういうことが起きているのです。
イエスのエネルギーを感じられるのです。
それは、本当に分かりやすいエネルギーで、すぐそのエネルギーだと気づけるのです。
当然、この文章にもこの振動が入っているので、感覚が敏感な人は何か違いを感じるはずです。

この感じのまま書いていきます。
その集中点、その1点、その位置の大きさは胡桃くらいの大きさに感じます。
私は何もしない、そこに集中しようともしない、ただその感じを受けているだけです。
しかし、そこから出て来るエネルギーは、益々強くなって来るのです。
今言ったように、本当に何もしないのに勝手に強くなって、その集中点がガチィッという感じでそこにあるのです。
冒頭で、「このままで大丈夫かなぁ・・」と書きましたが、それはこのときに自然に出て来た内的思いです。

強すぎるんです。
これ以上強くなると・・、
耐えられないのではないか、
これが、「このままで大丈夫かなぁ・・」、ということなんです。

今のところ、ある程度強くなったところで、私は少し顕在意識に戻るようにしています。
昨年も無意識集中で、自動集中させられ神のエネルギーに少し触れたとブログに書きましたが、その時も1ヶ月以上
意識がフラフラになる感じでしたので、今回もイエスの振動にはいきなり集中しないようにしています。
昨年の体験で、少しはこのようなエネルギーにも慣れたと思っていたのですが、イエスのエネルギーは、まだまだまともに受けられないくらい強烈です。
それだけ神的エネルギーは強力ということです。
それは意識で感じるエネルギーですが、肉体にもかなりの影響があります。

その意識の感じを、もう少し分かりやすく表現してみます。
本当にありがたいことです。
このエネルギーは、想念はもちろん、他のすべての感じまで消してくれるエネルギーです。
自分という感じ、また自分の肉体のこともすべて忘れてしまうのです。
それより、自分というものの何かが消えていく感じで、それは少しの抵抗もなく何もかもすべて消えてなくなってしまう感じです。
それが意識の中で感じていられるのです。

リーディングが終了し、自分の意識に戻ったあと、私はそのまま、自分を軽い意識のままにしていました。
ただ、「あるがまま」、ただ「この感じのまま」にいたのです。
それでも、この1点集中ポイントはまったく変わりません。
大きくも、小さくもならず、また他の何かが入ってくることもありません。
それは、私にははっきりしているのですが、光でもないのです。
振動というのも、ちょっと違います。
本当に何かで表現することが出来ないもので、ただ神のエネルギーというしかありません。

本当に、それ以外何も感じないのです。
感じないというより、自動的に他のすべてを払いのけてくれるので、一切何も近寄れないエネルギーなんでしょう。
自分の中が明るくなった感じがして、その時何となくこんな感じがやって来ました。
「我、汝とともにあり」

この世でいえば、宇宙の中に太陽が1個だけ輝いていると言う感じです、他には何も感じない。
それは光と表現しているが、光ではなく、ただそう感じるとしか言えません。
力を放つ光でもなく、そこにすべてが集中しているエネルギーでもなく。
もう私自身も、意識とか肉体とかその他の境目というのが分からなくなって、それも無くなっているのです。
不思議です。
その光のように感じるエネルギーは、弱くなっていくどころか、まったく変化することなくどんどん供給されてくる感じです。

もし、今私が宇宙のど真ん中にいるとしたら、そのイエスの意識エネルギーはこんな感じになります。
他の星は一つもなく、ただ宇宙に1点の光を感じるのみ。
宇宙には、この光しかない。
この大宇宙空間には、この光以外、他の星は一つも見えない、無いのです。

このエネルギーが、本当にすごいものだと言えることがあります。
それは、このリーディング集中が終わったあと、それでもこのエネルギーはすぐ消えていかないのです。
イエスの集中ポイントが、私の頭の中、その同じ位置からしばらくこのエネルギーの自動供給が続くのです。
そのエネルギーはとても軽く心地よく、体も楽で本当に何も余計なことがなくなる感じのままです。
ずっと、意識や体の中が空白な感じ、何も寄せ付けないエネルギーはいつまでも続いていくのです。

何も考えたくない
見たくもない
何にもいらない
ここにいたい
ここだけがいい

今回から始めたアカシックレコードリーディング。
釈迦、イエスのリーディングから出て来たのは、私が知らないまったく新しいことばかりです。
今度は、どんな発見をするか・・。
次回、イエスの母マリアの意識から何が出て来るのか!

いつの日か、このイエスや釈迦のエネルギーは、何らかの形であなたの意識にも浸透させるときが来ると思います。

釈迦・仏陀、イエス・キリスト、マリアのリーディングが終了してから、もう一度この3名の振動についてまとめてみたいと考えています。
私の魂に聞いてみたいこともあり、その回答も含めて、またいろいろ説明したいと思います。

これがキリスト意識です。
この世からみれば、すべてのすべての完全意識です。
この世には、これ以上の意識は無いということです。
釈迦・仏陀以上、イエス・キリスト以上の意識があるとしたら、それは誰ですか?
もしいるなら、リーディングしてみたいと思います。
まだ、イエスや釈迦を信じない人もいるかもしれませんが、これまでの多くの偉大な人物の測定からも人間意識の段階があることが、これではっきりしたことになります。

この人生において、この2人の意識、そしてマリアを入れると3人ですが、その意識に触れ、またその霊的関係まで知ることができたことは、本当に感謝と喜び以外、他の言葉はありません。
イエスのエネルギー。
まだ言い足りない、まだまだ表現してみたい。
でも、ここまでが精一杯です。

イエスに大感謝!!