日本の偉人、賢人、有名人・・・た行


 豊臣 秀吉

いくつかの書からの振動で感じたのは、豊臣秀吉の意識はすばらしいというものです。
意識振動はかなりクリアで悟り系の大いなる智恵の持ち主という意識です。
人間的にも、本質的にやさしい人という振動が出ています。
全体的意識から感じるのは、豊臣秀吉は絶対的余裕を持った人です。

宗教者を除いて、聖徳太子から勝海舟、西郷隆盛までの時代の間に活躍した人物では、豊臣秀吉は最高意識レベルを感じます。
これから先の人物測定でどういうすばらしい人が出て来るかもしれませんが、少なくても3本指には入ると思っています。
私がこの測定するまで抱いていた豊臣秀吉のイメージとは全く違うものが出て来ました。
本当に、戦国武将にしてはめずらしいといっていいかは分かりませんが、かなり良い意味で軽い(ポジティブ的)そして頭全体が冴えさえ状態の人です。
秀吉の書に集中していても本当に気持ちのいい振動が来ます。
もちろん、この意識であれば人にも好かれ、信頼が増していくのも当然で、けっこう人間的に魅力があった人だと思います。
高いレベルで広く遠く見つめ、そして全体的角度から物事を判断決断することが自然に出来る人だったと思います。

信長は、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」でしたが、秀吉は「鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス」です。
後世の人が言い表した秀吉像は、本当によく当っています。
「智恵でなる人間」、広く深く、あらゆる角度から考えようとするのが豊臣秀吉の意識です。

ウィキペディア:豊臣 秀吉     文化庁:文化遺産オンライン

 徳川 家康

徳川家康公を祀る日光東照宮の振動は、不思議なくらい徳川家康の振動と同じです。
ですから徳川家康の意識振動はけっこう高いとなります。
根本意識にあるネガティブ性もほとんど無く、意識振動も秀吉と比較して秀吉の6割くらいのレベルがあります。
現代の目から見ればいろんなことを言われますが、誰も完璧に出来ることはありませんので、この時代にしてこの立場で高いポジティブ意識振動であるということ自体、何か見えない別な使命的なものを感じます。
我欲のみで天下取りを目指したのではないかもしれません。

家康の真の思いはどこにあったのか。
ポジティブ振動でレベルの高い家康の意識、そしてそれ以上に高い意識振動が秀吉です。
ただ信長だけは、ネガティブ性の我欲の波動が強く出ています。

家康は、「鳴かぬなら鳴くまでまとうホトトギス」でした。
家康は、智恵をフル回転させてまで、余程でなければそこまでは見つめないというタイプです。
これはあくまで秀吉と比べてですので、他のレベルから見ればかなり頭の切れる人間になります。

ウィキペディア:徳川 家康     文化庁:文化遺産オンライン

 武田 信玄

武田信玄はかなりの集中力を持った人物で、現代で言えば優秀な科学者、哲学者タイプです。
かなり物事を深く考える人でいつまでも考えていられます。
けっこう先の先まで見通し、それでもまだ考えるというタイプだったと思います。

ウィキペディア:武田 信玄     サイト:上里町

 徳川 光圀

波動的には、テレビの水戸黄門とは全く逆の意識です。
自分というものが定まっていない混乱した意識波動です。

ウィキペディア:徳川 光圀

 伊達 政宗

伊達政宗は我欲のネガティブ性の波動はないのですが、逆にポジティブ性の振動が特に強いというものもありません。普通よりポジティブ側の意識です。
あと目立つ波動では、伊達政宗は物事をかなり考える性格です。何度も慎重に角度を変えて考えるタイプのように感じます。

ウィキペディア:伊達 政宗

 手塚 治虫

手塚治虫の意識は、特別にどこかに強く意識を集中しているということはありません。
その意識は、自由で、自分の内全体に軽く集中している感じです。
自分自身の内だけでなく、意識の前後、要するに外なる世界と内的な世界まで、全体的に広い範囲に意識を解放している感じです。
分りやすい表現をすれば、固定観念が少ない、だから何かに捉われた制約的、限定的な考えもしない、という意識です。
自由、自在な角度から見られる意識の人といった感じを受けます。
漫画家の意識を測定したのは始めてですので、漫画家全体の意識はこういうものなのかどうかは、これからいろいろな漫画家を測定して行けば意識集中の傾向が見えて来ると思います。
要素とか素質というものは、意識的にもある程度分るものです。
また、そのような意識の方向に向かって努力することも大事なことかもしれません。
右脳左脳は、意識の次に来るもので、脳は意識によって使われるもの、意識に従うものだと私は思っています。
手塚治虫の若い頃の写真、10代後半か20代前半だと思いますが、その頃の写真からもすでに今言った意識がありました。
このような意識は、子供の頃からの訓練ですぐ出来るものではありません。
手塚治虫の今生は、やはり前世での努力の引継ぎか潜在能力開花のための人生か、ということになると思います。

ウィキペディア:手塚治虫