日本の偉人、賢人、有名人・・・さ行


 聖徳 太子

名言:ポジティブ意識の智恵 (波動振動測定の説明もあります)    
ウィキペディア:聖徳太子

 最 澄

最澄は空海と並んで日本を代表する仏教の開祖です。
最澄と空海の意識の違いははっきりしていますが、書からわかる意識振動について細かいことに触れるのは、ここではやめておきます。
空海についてはこちらをご覧ください。
まず最澄の直筆の書を何点か測定してみました。
最澄の意識振動の集中は空海とは違って視床下部にあります。
けっこうすばらしい強い振動です。
このように振動を中心に、またそれ以外の意識特徴まで見て行けば、現存している書が本人のものかどうかは判ります。
私が測定した最澄の書は全部振動が一致していました。
最澄と空海の大きな違いは真理に近いかどうかで、それは霊的意識(仏陀意識)にどれだけ近づいたかどうかだけです。
最澄は今の日本仏教の開祖ですが、その目的は一般庶民の霊的導きのほうに重点が置かれている感じです。

ウィキペディア:最澄     文化庁:文化遺産オンライン

 親 鸞

親鸞の振動は最澄と同じようなところに集中しています。
ただ親鸞の振動が最澄と違う点は、振動の強さはないが癒し系でとてもとても、本当にやさしい意識を感じます。
そして広く広がって明るい感じがします。
親鸞はとても慈愛に満ちたやさしい人だったということははっきりわかりました。
ただ一つ気になる点があるのは、これも最澄と同じでハートの中にある、何かに対する引っかかりです。
親鸞の意識振動から、人々のためにという思いが、何かどうにも出来ない自分の力不足として感じていたものが、この胸にあるつらさだったという振動の感じです。
それは最澄とは別な意識です。
私たちの意識に触れる教えは、大きく分けて悟り系と癒し系があります。
宗教者の教えにも、その背後とか奥に二つの大きな意識があります。
手を合わせ拝んで何とかなるといったものは癒し系で、それは疑念と背中合わせです。
逆に悟り系になると、厳しいという感じで人は自然に避けようとします。
厳しいといっても自己コントロール的なものだけなんですが。

宗教的な固定観念で流された見かたをしていると、いつまでも本当のこと本質に触れることが出来ません。
いまだ本質に触れられない教え、それは平安時代から進化していない意識となります。
宗教でも精神世界でもいいのですが、自由自在の本質意識というものもあるのです。

ウィキペディア:親鸞

 西 行

西行は癒し系のとても美しい振動を持った人です。
その振動はハートまで広がるやさしい心地いいものです。
きっと誰にでもやさしい人だったに違いないと思います。
少し振動の線が細いので、気が小さいかおとなしい人のようにも感じます。

ウィキペディア:西行

 千利休

私は、茶の世界だけでなく、千利休のことも名前しかその他詳しいことは知りません。
ウィキペディアではこのようなことを書いてあります。
「何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られる。茶聖とも称せられる。」
一流や超一流というレベルは、最終的には意識の世界に行き着くものだということを、この言葉からも感じます。
では、千利休の意識はどういう集中をしていたのでしょうか。
はっきり言って、この時代にどうやってこのような集中を覚えたのか、と何回か測定し直したくらい千利休は少し不思議な集中をしています。
「何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出す」、本当にこのとおりの集中をしています。
千利休の集中は前頭部の一点にあって、周りのすべてを自分に集中させるという意識です。
この集中点は外的な物事によってもビクともしないといったものです。
測定していても、この緊張感を感じさせる振動は全く不思議な感じになります。
人にはない振動といった感じで、何かのセンサーが働いている感じで、何となく機械的な感じのする一定した振動です。
茶聖と称せられるのもわかる気がします。
何かの精神的な訓練でもしなければ、このような意識にはなれない集中が千利休の意識です。
千利休はこの集中をどうやって身に付けたのか、知ることは出来ませんがちょっと興味があります。

ウィキペディア:千利休     岩国美術館

 杉原 千畝

杉原千畝の意識は癒し系で、とてもやわらかいやさしさいっぱいの意識です。
その振動がどんどん広がってこちらまでいい感じてなって来ます。
ポジティブというより、きれいな意識といったほうが合うと思います。

杉原 千畝

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 千姫(天樹院)

天樹院は豊臣秀頼の正室。
千姫は、現代風に言えば、健康に恵まれ経済的にも一生何の不自由もなくたっぷり愛情を注がれて育ったお嬢様といった感じです。
お姫様ですから今言ったことは当然なのですが、意識が素直という点ではお嬢様育ちであってもそういう人は少なくなるかもしれません。
根本意識次第で、いくら愛情を注がれて育っても愛情の分らない人もいるのです。

もう一つ、千姫の意識には気品を感じさせる波動があります。
日本の女優さんにも、この意識的気品の波動を感じさせる人がいます。
おそらく、前世ではお姫様かどうかは知りませんが、そういう環境の中で生きた人だと思います。
前世を見る方法で、「あなたはいついつの時代お姫様でした」私から見ると、こんな波動で?、という人もいるかもしれません。
まあ、いいでしょう。いろいろな性格のお姫様がいるのですから。

今回は、千姫の手紙からの測定ですが、この手紙は何を書いてあるのかわかりませんが、少し胸の中に悩みなのか、何かに気をもむといったようなものを感じます。
その波動は自分の意識とは分離した状態ですので、おそらくその悩みは自分のことではなく他の人に関係するものだと思います。
その手紙は何歳のころかも分かりませんが、手紙から千姫の根本意識に焦点を合わせてみると、千姫は誰にも好かれる人当りの柔らかい温かみのある波動を持った人という感じです。

ウィキペディア:千姫     早稲田大学図書館