ハ行女性A

  ベルナデッタ・スビルー

ベルナデッタ・スビルーは、「ルルドの泉」だけでなく、本人の肉体も死後腐敗しなかったということで、奇跡とか不思議という面でも興味深い人間です。
ベルナデッタ・スビルーの振動測定の結果です。
測定した数枚の写真は若い頃のものですが、この若さでサハスラーラ振動は、やはりといった感じで思ったとおりのはっきりとしたサハスラーラ集中でした。
振動の質もすばらしいものです。
おそらく、彼女が見た聖母マリアは、無意識の中で現れた聖母マリアが現実意識と重なって見えたと思います。
これは、彼女の前世における強いマリア信仰の無意識レベルが引継いだ彼女の意識の中での顕現だと思います。
サハスラーラ振動から考えて、そう分析するしかありません。
若いころから、そのような意識レベルであったということになります。

ただ、多くの人が思っている「ルルドの泉」の奇跡とは、あまり関係ないものと思います。
これは、彼女だけの意識に関わること、彼女への信仰の結果としての霊的導きだと私は思っています。

あと、死後彼女の死体が腐敗しなかったという事実ですが、これも強い信仰、こうなると信仰というより強い集中意識の結果となります。
棺のマスクをかぶせたベルナデッタの測定結果です。
サハスラーラ振動はもちろん強く感じますが、それともう一つ別なチャクラに強い振動を感じました。
それは、生命エネルギーと関係するところです。
そこの振動、まだ生命振動を感じます。
彼女は、もともと強い信仰心と集中力を持っている人だと想像出来ます。
ですから、生きている間にマリア信仰とは別に何か別な思いに強く集中していたのかも知れません。

結果的に、死後肉体が速やかに腐敗することも無かったということは、肉体細胞に何らかの生命エネルギーが入って来る回路が働いていたとなります。
本来寿命というものはなく、この生命エネルギーが入って来る回路が完全に閉じられたときが、寿命が尽きたということです。
老化もそのゆるやかな進行です。
彼女は肺結核で35歳の若さで亡くなったようですが、このくらいの生命エネルギーを引き寄せる力があれば、またそのチャクラも活性させる力があるなら、肺結核も自分で治せたと思うのですが・・。
それとも、この年齢で死ぬことに何か別な意味があったのでしょうか。
とにかくベルナデッタは、当時の人には理解できない特殊なことに焦点を合わせていたと思います。

ウィキペディア:ベルナデッタ・スビルー 


ベルナデッタ・スビルー ARR (1844年-1879年) 

ベルナデッタ・スビルーの波動振動測定内容は、すでに人物のところに載せていますが、もう一度アカシックレコードリーディングしてみたいと思います。
ベルナデッタの35年間の人生、その彼女の本当の意識はどんな感じだったのか。
数年前の波動振動測定よりさらに深く集中して、年齢とともに変化していくベルナデッタの意識状態に焦点を合わせてみたいと思います。

参考までに、次の文はウィキペディア「ルルド」からの引用です。
“聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデッタが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。 神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデッタに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」(Que soy era Immaculada Councepciou=私は無原罪のやどりである(フランス語:Je suis l'Immaculée-Conception.))という言葉であった。
これによって神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。 「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年だが、家が貧しくて学校に通えず、読み書きも満足にできない田舎の少女が知り得るはずもない言葉だったからである。”

まず、ベルナデッタが「あれ」と言っている女性から告げられた名前「インマクラダ・クンセプシウ」に意識を集中してみました。
この名前から伝わって来たのは、つい最近リーディングした聖母マリア、その愛のエネルギーとその広がり方が全く同じものでした。

では、ベルナデッタのARRの内容に入りたいと思います。
ベルナデッタが聖母マリアの出現を見た年は1858年です。
そこでベルナデッタのARRは、3回に分けて行なってみました。

1回目は、聖母マリアの出現を見た年の1年前の彼女の意識。
2回目は、聖母マリアの出現を見た翌年の彼女の意識。
3回目は、彼女がこの世を去る1879年、35歳の彼女の意識。

これでベルナデッタがどういう人間であったか、大体の想像は付くと思います。

1回目のARRです。
聖母マリアの出現を見た年の1年前の彼女の意識です。
年齢は13歳です。
この時の彼女は、とってもおとなしい子という感じで、顕在意識はごく普通の子と変わりありません。
また、顕在意識のサハスラーラもまだ弱いというレベルです。
しかし、これが潜在意識になると全く違ってきます。
おそらく、まだ子供だったので気づくこともなかったと思いますが、彼女の潜在意識はサハスラーラ振動が異常に強力です。
本当に純粋な意識の広がりを感じます。
子供の頃からこのような意識があるのは、これは前世からのものとしか考えられません。
誰の生まれ変わりか、それともどんなことをやっていたのかとなりますが、どちらにしても前世は相当な意識レベルであったことには間違いないでしょう。

2回目のARRです。
聖母マリアの出現を見た翌年の彼女の意識です。
年齢は15歳です。
やはり完全に目覚めたのか、大きな変化を感じます。
この時は、すでに顕在意識と潜在意識の振動は同じになっています。
それは、強力なサハスラーラ振動です。
それ以外の意識的感じは、何もありません。
ただ、サハスラーラが強力に振動しているだけです。
子供で、ここまでのサハスラーラ振動はちょっと考えられません。
かなり修行しなければここまでは、というレベルです。
それでありながら、彼女は病気で苦しんでいたのです。
どうして、ここまですばらしい意識でありながら、生活環境も最悪、また体も弱く大変な病気まで抱えてしまう人生なんでしょうか。

3回目のARRです。
この世を去る1879年、35歳の彼女の意識です。
深く集中していると、静かな感じが伝わって来ます。
この静かな感じが、一瞬何だろうとリーディングしながら反応しました。
何故なら、あれだけ強かったサハスラーラ振動が感じないのです。
一体彼女の意識はどう変わってしまったのでしょうか。
感じとしては、この振動が三分の一くらいの強さになっていたからです。

その代わり、というか、彼女はサハスラーラ以外に何の集中も無かったのですが、この年の彼女の意識には変化が表れていました。
それは、アナハタといって、マリアと同じ感じで愛の集中ポイントに愛の振動が広がっていたのです。
それは胸の中いっぱいに・・。

その振動は、マリアの振動に比較すると全然及びもつかないものですが、この世的にはすばらしい癒し、愛の感じを表現しています。
ただ、その胸いっぱいの愛の集中に、1点だけ違和感を感じました。
それは、器官のあたりです。
おそらく、このあたりの病気がかなり悪化して、これが死因だったのではないでしょうか。

このままリーディングを続けました。
そうすると、うっすらとですが彼女の祈る姿が意識に映って来たのを感じました。
ひざ立ての格好で、軽く指を組んでじっと沈黙の中で、微動だにしないじっとそのままの姿です。
その祈りの意識を感じたとき、私はどこでこのような祈り方集中の仕方を覚えたのか、と思いました。
これは祈りのスタイルではなく、伝わってくる意識の感じを言っています。

完全な沈黙の中で、一体化の祈りなんて、何も知らない35歳の人間が出来るものではないと思ったからです。
この真の集中と祈りは、一体化への完全な自己明け渡しを知る者だけが出来るものだと思っていたからです。

ベルナデッタは、聖母の出現で一躍有名人になりました。
この世的な考えでは、うまくやれば貧困から脱出でき、大きな病院で病気治療も出来たはずです。
しかし、ベルナデッタは有名になることによる喧騒から逃れるように、ルルドから離れた修道院に入って外界から遮断された静かな一生を送ったのです。

ベルナデッタの言葉はあまり残っていません。
彼女が何を思っていたのか、何を求めていたのかは分かりません。
しかし、私がこの世を去る年の彼女の意識、そして祈りの姿を思い返した時、もしかするとこういうことではないか、と彼女の思いが浮かんで来ました。

あれほど強いサハスラーラ集中のある意識ですから、彼女の深い思いも神方向以外は無いはずです。
そのことは誰にも言わず、沈黙を守ることで、ただそれだけに自分の人生を集中させていたと思います。
どんなことにも自分を乱さない、それは超貧困、不治の病にも・・。
これが彼女の最高霊的意識段階への、今生の通る道、試験だったかもしれません。

何故なら、この世を去る年の彼女の意識は、超貧困、不治の病などによるネガティブ性など微塵もなく、逆に愛の振動になっていたのですから。
その意識のまま、この世から抜け出したのではないでしょうか。
このベルナデッタのARRの中で、特に彼女が沈黙の祈りに集中している意識を感じたとき、私は「超美」に触れた感じがしました。

  ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー 

( 1831年 ~ 1891年 )

ブラヴァツキー夫人といったほうが、すぐ分かるかもしれません。
今回は2つ、ブラヴァツキー夫人とマハートマー書簡のARRです。

「『マハートマー書簡』(Mahatma Letters)とは、モリヤやクートフーミといった大師(マハートマー)から授かったと主張される手紙である。ブラヴァツキー夫人は物質化によって渡されたと述べた。」(ウィキペディアから引用)

まず、ブラヴァツキー夫人のARRです。
意識は顕在意識、潜在意識ともに同じ質です。
やはりすばらしい意識振動があります。
意識自体に透明感があり、ずっと拡大している感じです。
霊的といった感じの意識です。

次に、マハートマー書簡をARRしてみました。
どのようなことが書かれているかわかりませんが、「マハートマー書簡」というものに集中したARRです。
意識が深く深く、どこかにつながっていく感じがします。
何かにつながっている感じはしますが、その何かまでは分かりません。
マハートマー書簡も、とても霊的な感じがしますので、ブラヴァツキー夫人が言っていることは、疑うことが出来ません。

ウィキペディアの中に、次のような大師方の名前がありましたので、次回ARRしてみたいと思います。

モリヤ
クートフーミ
ジュワル・クール
セラピス・ベイ
ヒラリオン
セント・ジャーメイン
サナット・クマラ
マイトレーヤ


追 記

各大師方のARRです。
初めて名前を知った大師もいると思います。
私も初めて目にした名前がほとんどです。
そうなると、本当に大師なのかと、少し疑心が出て来ます。
ARRでみれば、すぐ答えは出て来ます。

ARRの結果、8名の大師方に共通点がありました。
振動集中ではなく、全員同じ霊的な位置に集中がありました。
全大師は、霊的超越意識で、何も言う必要もないくらいすばらしい意識です。
その中でも、特に感じたところだけ書いてみたいと思います。

  • モリヤ
    心の底から緩んでくるような、とても気持ちのいい意識振動を発しています。
  • クートフーミ
    心、意識を超えた、もっと深いところからの悟り系の意識集中を感じます。
  • ジュワル・クール
    けっこう集中が強く、ARRで集中していると、そのまま気が遠のく感じがします。
  • セラピス・ベイ
    非常に透明感のあるさわやかな意識集中です。悟り癒しのバランスが最高の意識です。
  • ヒラリオン
    本当にやさしい、やわらかい意識。シャカの意識に似た感じです。
  • セント・ジャーメイン
    霊的集中ポイントのみに集中しています。
  • サナット・クマラ
    マリアの意識集中に似ています。
  • マイトレーヤ
    クートフーミ大師と同じような意識集中です。

  ヘレン・アダムス・ケラー

ヘレンケラーの意識は、特にどこかに強い振動集中があるということはありません。
ただ、彼女のハートが何かを求める情熱、その熱い思いの感じはとても強く感じます。
その振動は、前向き、未来志向でマイナス的な消極性は少しも感じられません。
晩年の写真を見ると、いま言った振動はさらに強く何倍にも拡大しています。
自分の内的意識が大きな悟りを得たような振動になっています。
完全に「あるがまま」の意識状態になったという感じ、そんな満たされた意識振動になっています。

ウィキペディア:ヘレン・アダムス・ケラー     グーグル検索:ヘレン・ケラー 写真

  ヘレン・ビアトリクス・ポター

15歳の写真から測定したビアトリクス・ポターの振動の特徴は、目と耳から入る感覚に集中しています。この年齢からけっこう強い集中力があります。
普通ではあまりない集中の仕方です。
成人になった写真からは、その集中力はかなり柔らかくなっています。
余裕を持った集中と言えばいいかもしれませんが、その集中は脳の中心と関連させるようになっています。
晩年の写真を見ると、やはり子供の頃からの集中力は変わりませんが、振動自体はさらにやわらかくなっています。
焦点が決まっている集中は、見逃さない、そしてしっかり気づくということが自然に出来るようになります。
右脳左脳がどうのこうのより、意識集中の慣れが脳の発達を促進させるのでしよう。

ウィキペディア:ビアトリクス・ポター


  シモーヌ・ド・ボーヴォワール

シモーヌ・ド・ボーヴォワールのARR (2015/5/9)
フランスの作家、哲学者。
生没年: : 1908年-1986年
ARRの年齢は、15歳、50歳、そして亡くなる1年前の77歳です。

15歳の意識
顕在意識は、この年から自分の将来を心配し不安に思っています。それは自分を取り巻く環境のせいなのか、それとも時代背景からくるものなのか、または自分自身の問題のせいなのか、そこまではわかりません。

潜在意識は、非常に澄んだ意識です。悟り系でP5。
哲学より形而上学の方が合っている意識です。

50歳の意識
顕在意識は、悟り系の意識が子供の頃よりさらに強くなっています。
意識振動もきれいで、さらに内的世界が広がっているといった感じです。
ただもう一歩の壁、子供の頃と同じ将来の不安がまだ残っています。
この年齢では,将来というより、自分の内的な面に関係することかもしれません。
この得たいのしれない内的ネガティブが、人には言えない彼女の一番の問題だったかもしれません。

潜在意識は、とても静かで落ち着いている意識になっています。
ただ、もう一歩の壁の波動が、潜在意識にも残って漂っているといった感じです。

77歳の意識
光が差したというか、解放への道が見えたといか、そのような軽い、明るい意識になっています。
50歳までの意識には、軽いとか明るいといった感じは少しもなかったのですから、何か彼女の意識に大変化が起きたというしかありません。
しつこくあったもう一歩の壁の波動も、もう乗り越えられるいった確信が伝わって来ますので、大きなヒントを掴んだというしかありません。
ようやくこの年になって、その喜びの意識の中にいます。
以前の意識と比較すると、別人といってもいいくらいの変わり様です。

ウィキペディア   ポジティブ意識の智恵