ベルナデッタ・スビルー  (1844年1月7日-1879年4月16日) 

ベルナデッタ・スビルーの波動振動測定内容は、すでに人物のところに載せていますが、もう一度アカシックレコードリーディングしてみたいと思います。
ベルナデッタの35年間の人生、その彼女の本当の意識はどんな感じだったのか。
数年前の波動振動測定よりさらに深く集中して、年齢とともに変化していくベルナデッタの意識状態に焦点を合わせてみたいと思います。

参考までに、次の文はウィキペディア「ルルド」からの引用です。
“聖母出現の噂は、当然ながら教会関係者はじめ多くの人々から疑いの目を持って見られていた。ベルナデッタが「あれ」がここに聖堂を建てるよう望んでいると伝えると、神父はその女性の名前を聞いて来るように命じる。 神父の望み通り、何度も名前を尋ねるベルナデッタに、ついに「あれ」は自分を「無原罪の御宿り」であると、ルルドの方言で告げた。それは「ケ・ソイ・エラ・インマクラダ・クンセプシウ」(Que soy era Immaculada Councepciou=私は無原罪のやどりである(フランス語:Je suis l'Immaculée-Conception.))という言葉であった。
これによって神父も周囲の人々も聖母の出現を信じるようになった。 「無原罪の御宿り」がカトリックの教義として公認されたのは聖母出現の4年前の1854年だが、家が貧しくて学校に通えず、読み書きも満足にできない田舎の少女が知り得るはずもない言葉だったからである。”

まず、ベルナデッタが「あれ」と言っている女性から告げられた名前「インマクラダ・クンセプシウ」に意識を集中してみました。
この名前から伝わって来たのは、つい最近リーディングした聖母マリア、その愛のエネルギーとその広がり方が全く同じものでした。

では、ベルナデッタのアカシックレコードリーディングの内容に入りたいと思います。
ベルナデッタが聖母マリアの出現を見た年は1858年です。
そこでベルナデッタのリーディングは、3回に分けて行なってみました。

1回目は、聖母マリアの出現を見た年の1年前の彼女の意識。
2回目は、聖母マリアの出現を見た翌年の彼女の意識。
3回目は、彼女がこの世を去る1879年、35歳の彼女の意識。

これでベルナデッタがどういう人間であったか、大体の想像は付くと思います。

1回目のリーディングです。
聖母マリアの出現を見た年の1年前の彼女の意識です。
年齢は13歳です。
この時の彼女は、とってもおとなしい子という感じで、顕在意識はごく普通の子と変わりありません。
また、顕在意識のサハスラーラもまだ弱いというレベルです。
しかし、これが潜在意識になると全く違ってきます。
おそらく、まだ子供だったので気づくこともなかったと思いますが、彼女の潜在意識はサハスラーラ振動が異常に強力です。
本当に純粋な意識の広がりを感じます。
子供の頃からこのような意識があるのは、これは前世からのものとしか考えられません。
誰の生まれ変わりか、それともどんなことをやっていたのかとなりますが、どちらにしても前世は相当な意識レベルであったことには間違いないでしょう。

2回目のリーディングです。
聖母マリアの出現を見た翌年の彼女の意識です。
年齢は15歳です。
やはり完全に目覚めたのか、大きな変化を感じます。
この時は、すでに顕在意識と潜在意識の振動は同じになっています。
それは、強力なサハスラーラ振動です。
それ以外の意識的感じは、何もありません。
ただ、サハスラーラが強力に振動しているだけです。
子供で、ここまでのサハスラーラ振動はちょっと考えられません。
かなり修行しなければここまでは、というレベルです。
それでありながら、彼女は病気で苦しんでいたのです。
どうして、ここまですばらしい意識でありながら、生活環境も最悪、また体も弱く大変な病気まで抱えてしまう人生なんでしょうか。

3回目のリーディングです。
この世を去る1879年、35歳の彼女の意識です。
深く集中していると、静かな感じが伝わって来ます。
この静かな感じが、一瞬何だろうとリーディングしながら反応しました。
何故なら、あれだけ強かったサハスラーラ振動が感じないのです。
一体彼女の意識はどう変わってしまったのでしょうか。
感じとしては、この振動が三分の一くらいの強さになっていたからです。

その代わり、というか、彼女はサハスラーラ以外に何の集中も無かったのですが、この年の彼女の意識には変化が表れていました。
それは、アナハタといって、マリアと同じ感じで愛の集中ポイントに愛の振動が広がっていたのです。
それは胸の中いっぱいに・・。

その振動は、マリアの振動に比較すると全然及びもつかないものですが、この世的にはすばらしい癒し、愛の感じを表現しています。
ただ、その胸いっぱいの愛の集中に、1点だけ違和感を感じました。
それは、器官のあたりです。
おそらく、このあたりの病気がかなり悪化して、これが死因だったのではないでしょうか。

このままリーディングを続けました。
そうすると、うっすらとですが彼女の祈る姿が意識に映って来たのを感じました。
ひざ立ての格好で、軽く指を組んでじっと沈黙の中で、微動だにしないじっとそのままの姿です。
その祈りの意識を感じたとき、私はどこでこのような祈り方集中の仕方を覚えたのか、と思いました。
これは祈りのスタイルではなく、伝わってくる意識の感じを言っています。

完全な沈黙の中で、一体化の祈りなんて、何も知らない35歳の人間が出来るものではないと思ったからです。
この真の集中と祈りは、一体化への完全な自己明け渡しを知る者だけが出来るものだと思っていたからです。

ベルナデッタは、聖母の出現で一躍有名人になりました。
この世的な考えでは、うまくやれば貧困から脱出でき、大きな病院で病気治療も出来たはずです。
しかし、ベルナデッタは有名になることによる喧騒から逃れるように、ルルドから離れた修道院に入って外界から遮断された静かな一生を送ったのです。

ベルナデッタの言葉はあまり残っていません。
彼女が何を思っていたのか、何を求めていたのかは分かりません。
しかし、私がこの世を去る年の彼女の意識、そして祈りの姿を思い返した時、もしかするとこういうことではないか、と彼女の思いが浮かんで来ました。

あれほど強いサハスラーラ集中のある意識ですから、彼女の深い思いも神方向以外は無いはずです。
そのことは誰にも言わず、沈黙を守ることで、ただそれだけに自分の人生を集中させていたと思います。
どんなことにも自分を乱さない、それは超貧困、不治の病にも・・。
これが彼女の最高霊的意識段階への、今生の通る道、試験だったかもしれません。

何故なら、この世を去る年の彼女の意識は、超貧困、不治の病などによるネガティブ性など微塵もなく、逆に愛の振動になっていたのですから。
その意識のまま、この世から抜け出したのではないでしょうか。
このベルナデッタのリーディングの中で、特に彼女が沈黙の祈りに集中している意識を感じたとき、私は「超美」に触れた感じがしました。



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