釈迦・仏陀   

これから始めていくアカシックレコードリーディングは、私自身がこのリーディングに充分訓練を積んできたというより、歴史的な人物を数人練習したレベルです。
まだ、そんなレベルですが、釈迦・仏陀やイエス・キリストのアカシックレコードリーディングをしようと思ったきっかけがあります。
それは空海のリーディングでした。
この空海のリーディングは、4回目に予定していますので、そのときにいろいろ説明したいと思います。

とにかく、それでアカシックレコードリーディングが出来ると確信し、いきなり仏陀、イエスキリスト、イエスの母マリアとリーディングしていったのです。
最初から、人類の頂点に立つ人物のリーディングですから、内心では、出来るとか出来ないとか、それ以外にも何も思うこともなく挑戦したのです。
それは、「出来ないで、当たり前」でいいのですから。

そのリーディングから来る内容は、これもまたすべて最高を超えた驚きの連続でした。
その振動をどう受け止めていいのか、いまだ自分の意識をしっかり整理出来ていない状態が続いています。

今回は、釈迦・仏陀のアカシックレコードリーディングですが、これから4回(4人)に渡って掲載する人物は、とにかく想像を絶する意識振動でした。
その4人は、順番に釈迦・仏陀、イエス・キリスト、イエスの母マリア、空海です。
どうですか、すごい人物ばかりですよね。
この方々の内的意識に近づける(知る)だけでも、あなたはかなりの意識向上のヒントをもらったことになると思います。

私自身、釈迦については、その教えの内容をしっかり勉強したことはありません。
詳しいことは何も知らないで、アカシックレコードリーディングをした訳です。
当然、対象となる人物の意識振動判断する基準は、私の中にあるこれまで測定した聖者や意識レベルの高い人たちの振動の種類や集中点やその強さや質などです。
ですから、
リーディングする前は、「釈迦も相当良い振動レベルだろうなぁ~」
この程度に思っていたわけです。
それより、
「釈迦、イエスのアカシックレコードリーディングなんて出来るわけないだろぉ~・・」
まぁ、こんな思いだった、というのが正直なところです。

手の平に入るくらいの紙に、「釈迦・仏陀、紀元前450年」と書きます。
それを持って、今の年代から過去に向けてどんどん意識を遠ざけていきます。
今、2000年、1800年、1700年・・・1000年・・・500年、この辺からインドに意識を向けていきます。
100年・・・紀元前100・・200・・300・・そして450年で止まります。
かなり意識が遠のいた状態で、何も無い空白状態の中で、
「釈迦・仏陀」空間に、自分の意識を明け渡し、集中。
そのまま待ちます。
何を待つのか、本当は何かを待つということでもありませんが、そんな感じです。

こうしていると、30秒くらい経ったころから、無意識状態の自分にある感じが入って来ます。
無意識状態といっても、自分の意識が無くなるということではありません。
この世的想念が一切無い、それがまったく近づいて来れない振動世界(無意識状態)に、自己意識を保っているということです。

ここからが、アカシックレコードリーディングの内容です。
無意識に上って来る内容は、潜在意識レベルのことではありませんので、意識に入って来たリーディング内容は、さっとメモするかICレコーダに録音しておくかしなければなりません。
そうしないと、無意識レベルの内容は、ある感じだけが残り、後で細かいことを思い出すことが出来なくなるからです。
それでも、その集中で感じたことはかなり失っています。

こんな感じでメモした内容を、これから書いてみたいと思います。
このリーディング内容は、一度だけのものではなく数回の釈迦・仏陀のリーディングをまとめたものです。
数回といっても、釈迦の根本意識はまったく変わることはありませんでした。

先ず、私の意識に入って来た振動で、すぐに感じたことは「天と地」でした。
私は深い意識の中で、その振動の感じから、いきなり「天と地」、と感じたのです。
先ず、ここで1回目の驚きです。
これまで、何千という測定をして来て、こんな振動の感じは初めてだったからです。
はっきりと、しかも強烈に!
リーディングが終わってから、私はすぐに意識の中にこんな言葉の記憶が甦ってきました。
釈迦は、産まれた途端、七歩歩いて右手で天を指し左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と話した、ということを。
この話は、多くの人が知っていると思います。
この言葉の真偽のほどはわかりませんが、最初に感じた振動からすぐこのことが浮かんで来たのです。
そのくらい、この2つの振動点が強く感じたということです。

その続きです。
そのままじっとしていると、だんだん釈迦の意識集中振動点が見えて来ました。
ここでいう見えるとは、意識の中に映し出されるという意味です。

ここで、2回目の驚きです。
釈迦の振動集中点は、4つあるんです。
最上位点と最下位点、その2つの集中点の間に、さらに2つの集中点があると言ったほうがいいかも知れません。
最下位点は生命力のチャクラポイントです。
最上位点は、今までたくさんの振動測定をして来ましたが、これも初めて知った集中ポイントです。
この集中点についての詳しいことは、イエスのリーディングの時に説明します。

この最上位点と最下位点の2つが際立ってすごい振動です。
その間にある2つの振動点は、サハスラーラとアナハタです。
ただ、釈迦ほどの人物が、サハスラーラ振動は静か、ほとんど目立たない振動にはビックリしました。
普通、聖者クラスになると、サハスラーラの振動がかなり強く、振動の質も他の人よりは際立ってすばらしいからです。
もしかすると、最上位点と最下位点の2つが際立ってすごい振動だったので、サハスラーラ振動がそれほど目立たなかったというだけかもしれません。

それとは反対に、アナハタの振動ははっきりしています。
釈迦の意識全体の振動から、これもあとで詳しく説明しますが、釈迦は悟りより愛の振動のほうが強く感じたのです。

この4つの振動を感じながら、じっと自分の内的意識に集中していると、釈迦が瞑想しているような、これは感じでしたが、その感じは、三角形と円を組み合わせた形の中に4つの集中点が置かれているように浮かんで来ました。
そして、その4つの集中点の位置を意識していると、私の奥深くから、これもそのような感じというしかありませんが、強烈に浮かんで来るものがありました。

それは、「生命の樹」の中心の柱にある4つの球です。
「生命の樹」や神秘的なことを知らない人には申し訳ないですが、このような話で表現するしか、この偉大な釈迦の意識は語れないのです。
私はこの4つの球に相当する釈迦の4つの意識集中点を重ね思ったとき、「生命の樹」のすべてが、初めて仏陀意識だと分かったのです。
もちろん、それはキリスト意識でもあります。

これまでの意識の勉強で、チャクラの位置や「第三の目の世界」の測定で初めて知った2つの特殊振動点など、これらもすべて正しかったとこの感じで確信出来たのです。

この世では、7つのチャクラ全部に集中することが大事となっています。
私が作ったチャクラカードもそうしていますが、それは意識向上の段階を通るためです。
それを飛ばして、次なることが出来るということは無いのです。
しかし、釈迦は4つの集中点です。
その中の最上位点を抜かせば、この世における釈迦のチャクラ集中は3つです。
いま、最上位点を外したのは、その集中ポイントはイエスと同じ霊的集中点だからです。
このことは、イエスのリーディング内容ではっきりすると思います。

チャクラの位置とその意味は霊的意識段階で説明出来ることですが、釈迦がちゃんとその証拠を残してくれた、とこれは私が勝手に思っていることかもしれませんが。
この「生命の樹」や釈迦の意識集中点の動きについてはまだいろいろありますが、その話を理解出来る人はほとんどいないと思いますので、またいつかこの内容に触れることがあった時に、で。
ここまでは、釈迦の意識振動の集中点についてでした。

次は、この世的、というか完全に悟った釈迦意識の表現、それはこの世の人々に向けた表現になりますが、これもリーディングで感じたことを書いてみたいと思います。
釈迦からは、「慈悲」という言葉が浮かんで来ますが、これは仏教的な影響による言葉なのかどうかはわかりません。
私のリーディングから来る感じでは、釈迦の意識は「慈悲」というより「愛」を感じます。
柔らかい、やさしいといった大きく包みこむ愛の意識振動を感じたのです。
それは4つの振動が大調和の中で、絶対的なやさしさというより柔らかな何とも言えない振動です。
釈迦の4つの意識振動ポイントから、4次元と3次元をつなげるバランス意識、それは大調和意識ですが、その振動集中バランスを教えてもらったような感じでした。

仏教のことはあまり知りませんが、
「法華経」の中に入っている振動も、こういったやさしさを感じます。
「法華経」にある各章の振動、いろいろな種類と感じは、これもいつか全振動測定をするつもりです。
ちょっと話しが逸れましたが、この「法華経」の振動については、その一部を振動測定したことがありますので、何となく釈迦の意識につながるなぁ、と思い出したことを書いてみました。

話を戻します。
「天と地」を感じさせる振動、その地の部分は生命力です。
これもかなり強烈で、なるほどです。
天は霊界ですが、霊的(神エネルギー)がストレートに受けるためには、弱い意識、要するに入れ物が弱くては、神エネルギーは受け止められないということだと感じました。
生命力は、集中力の強さの程度と直結していますので、それがいつも充分に満たされていなくてはなりません。
釈迦は、輪廻転生を繰り返し、とうとうその人生で悟りの最高の大悟、仏陀意識まで到達したのですから、この世にいる間にも充分に生命力に満たされていたはずです。

このリーディングをする前は、どうしても私の中にある釈迦のイメージは、死を覚悟の難行苦行をした釈迦、という思いこみがあり、どう見ても厳しい悟り系という印象が強くありました。
それが、このリーディングの中では、何とやさしい、また言葉ではとても表現出来ないやさしい愛の強さを感じたのです。
本当に悟った人から出る愛は、誰もが望む心地よさであり安心感であり、超一体ゆだねられる、それこそ本当にどう表現していいか分からない感じです。
これこそが、超美!
これを超えるものどころか、この影さえ踏める美などこの世にはない!というものです。

意識の美が、すべての頂点にある、それが「愛」の本当の意味?というか真理だと感じさせてもらえた喜びは、これも自分の無意識の中でしか分からないものです。
集中から離れ、この世の意識に戻ると、その感じはかなり薄れてしまうのが残念です。
この意識の感じに近づくためには、長い時間をかけて集中同調を重ねていくしかありません。

私は今回の釈迦のやさしい意識振動を感じて、現代人の意識のあり方を考えてしまいました。
現代は、いつの間にか人間同士、お互いに監視し合い、いじめ合い、苦しめあっていることに、何故早く気づかないのか。
誰かの作った仕組みにうまく乗せられているのかも知れない、そんな社会のように感じるのだが・・。
教育方法、生き方、基本的尊重の意識、真の喜びの本質的喪失、虚しさを正当化する無智の正体。
必要以上集めたがるお金狂い、競争で人より勝ち抜くことが人間の優秀さ、価値だと大、大勘違い。
助け合い、すべて国民生活向上のためと言いながら、犠牲を強いる為政者。
この中で自分を守り抜くために用意した鎧兜が、我欲そのものから出た差別化のためだけの人間プライド。
この世界は、どうにも出来ない大なる暗示にかかっているのか。
夢ある未来は、科学の進化がもたらしてくれると思っているのでしょうか。
逆でしょう。
喜びある、人間意識進化が、平和的科学的進歩を促進し、またそれによって人々に真の幸せがもたらされるのです。
その方向は地上天国。
これを理想と言っている人間には、そのようにしか考えることの出来ない人間には、
地上天国とは反対の方向に。
そこはハルマゲドン、しかないのです。
この世は相対、どちらかに向かうしかないのです。
これからの時代は、中間はないと思ってください。

気づいている人は気づいているのですが、でもまだまだほとんどの人は・・。

地球は、輪廻転生して戻って来る人達のためにだけある。
神側意識レベルの人たちは、みんな次なるすばらしい世界に進化し移動して行く。
人間の本質を自ら見せるために、釈迦はそのことを教えるために、またイエスはそのことを真理として教えるために、この2人は私たち人間に「愛」を感じさせるために来ただけ、と私はそう思っています。

釈迦に大感謝!!