釈迦・イエス・マリアのリーディング総括   

釈迦・イエス・マリアの三大聖者のリーディング内容は一通り説明して来ましたが、意識集中はまだ続けています。
リーディング内容掲載後の集中で発見したこと、気づいたこと、そして三大聖者の共通点などをまとめてみました。

まず、この三大聖者に共通していることです。
それは、これまで私が意識振動測定して来た人物の中では、この三大聖者は誰にもない集中ポイントかエネルギーを持っているということでした。
誰にもない集中ポイントからは、何モノにも比較にならないエネルギーが出て来ます。
そのエネルギーの広がりや強さも、誰にもないものでした。
今さら言葉に出すことでもありませんが、すべてがこの世で最高というレベルです。
ただその中でも、とても失礼なことですがマリアに関しては意外でした。
しかし、リーディングをして真実が分かっただけでなく、最高の愛のエネルギーまで知り得たことは、私にとって大きな宝の一つになりました。

この三大聖者に関しては、その内容説明にしても、かなり難しく感じるかもしれません。
しかし、どの内容も神秘霊的知識や私のそのような体験まで入れて判断しなければ、まったく表現しようもないものでした。

この三大聖者の意識の理解は、私たちが高い意識向上を目指す上で、とても大事なことが表現されています。
イエスは悟り系、マリアは癒し系、釈迦はそのバランス意識といった感じです。
イエスの悟りは、真理、霊的法則そのもので万能意識です。
マリアの癒しは、これも創造神から3次元界まで、個と全を一つの完成意識とさせる愛を表現しています。
釈迦のバランスは、この悟りの霊的法則と癒しの愛を人間(魂)意識の中で完成させています。
このような見方は、私の意識で受けた感じですので、それぞれが感じたことでいいと思います。

もう少し、各大聖者の意識集中で体験したことを話してみたいと思います。

イエスからです
再びイエスのリーディングに入り、いつものとおりイエスの意識に集中し、そのまま同調に入ります。
それまで、あまりにもイエスのエネルギーが強いと感じたので、少し戸惑いもあって深く集中することを止めていましたが、今回初めて全集中を試みました。
いつでもそうですが、まず1点に集中、それは自動集中といって向こうから来ます。
それにじっと集中していると、だんだん顔の表面までエネルギーを感じて来ます。
それも、表現のしようのないエネルギーの感じで、そのエネルギーは体全体に広がっていきます。
体全体に広がっていくエネルギーを意識の中で感じていると、その自分の体が浮かんで見えて来ました。
それをじっと見ていると、イエスのエネルギーが体に浸透していくところから、その見ている体がだんだん透明になっていくのです。
そのまま全エネルギーが浸透した体、それは意識で見える体ですが、全透明になってしまいました。
今度はその透明な体が変化していきます。
半透明みたいな体で、これも見たことのない何とも言えない体になっていました。
もしかすると、これがアストラル界(霊界)の体なのか?
今はこれについては何とも言えませんが、そのうちはっきり分かるかもしれません。
イエスのエネルギーに集中すると、どうしてもこの世的なものは消えてしまいます。
これからもイエスの集中では、霊的なことばかりになるのではと思っています。

次に、マリアの意識に集中したときに感じたことです。
すでに説明済みですが、もう少し深く感じたマリアの思いというものがあります。
マリアの思い、イコール霊界からの思い、にしてもいいと思っています。
やはり、マリアの愛のエネルギーは胸の前と中に強く感じます。
今回の集中で感じた愛のエネルギーは、本当に感触的なものでした。
けっこう、愛のエネルギーが強いので、私にとってはマリアの熱い思い、強い願いというふうに感じました。
それは、本当にかわいい自分の子を自分のすべての思いで愛しむような母親の気持ちと同じような意識が、全人類の一人ひとりに、平等に、愛のエネルギーを込めて思っている、願っているといった感じでした。
個人の魂が早くこの世の地獄から脱出して、霊界に戻って来られるように・・、と。
その意識、エネルギーは、愛の感じとしか、それ以外は浮かんで来ないのです。

次に釈迦の意識に集中して、さらに発見したことです。
今回はっきりしたことは、生命力です。
釈迦の集中で強かった天と地の意識、その地の部分です。
天の意識はイエスと同じ意識です。
地は、生命力で、そのポイントがかなり意識出来たのです。
この世でも、生命力はすべての力の元になるものですので、ここの集中はとても大事なことです。
釈迦は、その生命力を癒し、救いの愛とやさしさのエネルギーとして表現しています。
釈迦は、悟り意識を根本的土台として絶対的な愛、それもやさしさ、思いやりで包み込むエネルギーで表現しています。

その愛の心地よさの質は、マリアとは違います。
マリアの愛は、どちらかというと霊的ですべてを受け止めるという感じがします。
イエスとマリアの意識は、どちらかというと霊的な面が強く感じます。
一方釈迦は、イエスとマリアの集中意識をバランスよく表現しています。
どれも勉強になることばかりです。

イエス、マリア、そして釈迦の大事なポイントをみると、三位一体という創造の基本原理が何となく分かりかけるきっかけになった感じがしました。
それは、当然生命の樹に関係し、各次元の三位一体の表現にもつながります。
そして、この関係は、チャクラのポイントを霊的段階に上げる集中の説明にもつながります。
すべては、一つの法則ですから、食い違うことはおかしいことで当然なことです。

三大聖者からは、それぞれの教えのポイントがはっきりして来ます。
釈迦の教えの目的は、最終的に人間意識バランスに到達するために、その前にやっておくべき心の浄化、ネガティブ(煩悩)の克服法の教えを説いたと思います。
イエスは、自分の真我は魂、その真の魂は霊界にあること、そしてその霊的意識に気づくことを教えに来たと取っています。
マリアは、すべての人間の根本意識としなければならない「愛」を、それを説いてはいませんが、今そうだと感じています。
それは今になってしまいましたが、それを知ったときから自分の意識です。
イエスも釈迦も、一般の人には喩えで、しかし弟子には本当の法則を教えていたのかもしれません。

この三大聖者の意識やエネルギーに集中することは、まったくこれまでの集中とは違う世界を感じます。
しばらくは、この三大聖者の意識同調と集中を続けていきますが、もう無意識とか霊意識とかいうこともどうでもいいという感じになっています。
そんな区別は無くなって、ただ一つの意識があるのみ、です。
この先は、この三大聖者の意識を一つとして自分の意識にする集中に入っていきますが、その後どうするかは考えていません。

また、この集中を続けることによって新たな発見がありましたら、それが話せる内容でしたら追記したいと思います。