イエスの母マリア   

私は、今までイエスの母マリアのことにはまったく関心がありませんでした。
何故なら、私のマリア像は、ただイエスの母というだけで人々の崇敬の対象になっている、という
くらいにしか思っていなかったのです。
また、私は悟り系の勉強がメインであったため、癒し系の感じがするマリアにはまったく興味が向かなかった、というのもあるかもしれません。
しかし、悟り系の勉強もだんだん深く理解出来るようになって来ると、イエスのいう「愛」という意味の理解にも自然に意識が向くようになって来ました。
私がマリアに関して知っているのは、こんな程度です。
こんな意識で、マリアのアカシックレコードリーディングに入ったのですから、その内容は驚きを超えることの連続でした。

そのリーディング内容です。

「エッ、何これっ・・、何で~・・、・・信じられない!」
リーディング中、深い意識の中で本当にこんな感じの驚きを感じていたのです。

マリアの意識を説明します。
マリアの意識が最初に感じたのは、アナハタというチャクラの位置です。
アナハタは、癒し「愛」の振動を表現するところです。
まず、ここにその感じが入って来ました。
これまで測定した中でアナハタ振動が強い人物は、この振動の感じがちょっと強くなって胸の中全体まで広がる程度でした。
「広がる程度でした」といいましたが、それでも数少ない相当なレベルなんです。

しかし、マリアのアナハタ集中は、こんなレベルではないのです。
すごい勢いがあります。
勢いといってもパワー的なものではなく、逆にマリアの集中ではパワーという感じは一切しません。

じっとその浸透してくる振動を感じていると、私のからだのすみずみまでどんどん広がっていくのです。
その癒しの感じといい、愛の感じといい、これまで測定した中で、これも初めての感じで最高の幸せ感、を超えた何と表現していいか迷ってしまうくらいの感じです。
当然、言葉が見つかりません。
本当に、今もその感じを思い出すと、そのすばらしい感じを、本当はもっともっとこれでもかというくらい表現したくなる振動なんです。
こんな表現では、全然伝わらないと思いますので、リーディングで感じたままを表現してみたいと思います。

まず、じっと静かに集中していると、胸の中に強い思いの感じ、
それはマリアの集中意識としかいえませんが、それを感じます。
そのあと、その感じは、私のアナハタをグッと開いて私の胸の中に入り込んできます。
このとき、「エッ!」と思ったのは、アナハタを外から開かれたという感じがしたからです。
それは、胸の前からですが、意識ですからこれもそんな感じとしか言えません。
そのままにしていると、そのエネルギーは体のすみずみ、体全体までどんどん浸透していきます。
その時、同時に私自身の意識とか肉体とか、その他にも自分と他を分けるような境界線もだんだん消えて・・、
いつのまにか、アナハタ集中の感じもすっかり消えて無くなっていたのです。

ただこれだけで、ここにエネルギー、愛を感じるのです。
それは振動とは言えないもので、霊的エネルギーとか、愛エネルギーとしか、それ以外の言葉では無理です。
私のからだの中全体はもちろん、そのエネルギーは体の外まで、それはずっと拡大している感じの範囲ですが、とことん広がって遍満している感じです。
私が知っている人物のアナハタ集中と、まるで違うレベルであることが分かると思います。

その全体が、マリアの愛のエネルギーで満たされているのです。
どんなすばらしい聖者意識の振動であっても、こんな広がりのあるエネルギーを持っている方はまだ振動測定で出会っていません。

しかし、不思議です。
このマリアの愛のエネルギーは、どこから来るのかが分からないのです。
そして、どこまで広がっているか、それも無限としか感じないのです。
今私が感じているところ、それ自体が愛のエネルギーで、これもイエスと同じでまったく変化しない一定の愛エネルギーが最高の感じとして、「そこにある」だけなんです。
すべて平等に均等に、どこを感じてもまったく同じレベルのエネルギーを感じるのです。
まったく不思議な無意識的感覚です。

少し自分の意識に戻してみました。
「ここは、どこ?」
今、マリアのリーディング中でマリアの意識を感じているのではないのか。
マリアの意識はどこなのか。
こんな感じで自分に問いかけていました。

でも、いま集中していることすべてがマリアの意識、愛エネルギーなんです。
これは、普通に感じる意識的振動ではない。
これは、一つの世界だ。
マリアの愛のエネルギー、それがマリアの世界です。
リーディングによるマリアの意識集中ですが、それを超えて全く別な世界にいるようでした。

そういう感じで、最後は、そのエネルギーだけが感じるのです。
自分の中も外も無く、すべてが一体の中で。
何という感じだ。
何かの感じというものも何もないが、ただ何も無いがすべてにおいて最高にすべていい。
そのいいという感じだけがあるのみ。
当然、いつの間にかリーディングしているという意識もどこかに消え、ただすべてがマリアの愛のエネルギーの中で静かにしている自分がいるのみ。
こんな意識の中でした。

これはニルバーナ(涅槃)か、霊界か、
どちらでもいい。
とにかく、このような愛のエネルギーは初めてで、ただ不思議というしかない。
これがマリアの意識で、愛エネルギーです。
ただ、一つの愛、そのエネルギーの世界にいる。
ここはマリアの意識の中だ。
あまりにも広大すぎる、これが最高宇宙意識というものか。
今もマリアの意識を思うと、こんな感じの言葉しか出て来ません。

やはり癒し、愛の振動はアナハタチャクラに関係していました。
このマリアのエネルギーの感じは、まずアナハタから来たからです。
しかし、これは私が自分で集中したエネルギーではなく、自動的に入って来たエネルギーでした。

イエスのエネルギーと同じように、リーディングが終わったあとも、その愛のエネルギーの感じは
続いていました。
本当に、幸せ、を超えた不思議な感じでした。
そのくらい、何モノにも比較にならないくらい、マリアの愛のエネルギーはすばらし過ぎるのです。

私は、もしかしたら数年前からマリアの愛のエネルギーに触れていたかも知れないということを思い出しました。
リーディングから離れ、マリアの愛のエネルギーに静かに集中していた時のことです。
その時、以前私が神秘体験したときの映像が自然に浮かび上がって来たのです。

この体験は、どこかに書いたことがあると思います。
少しニュアンスが違うかもしれませんが、意識的に感じたことは同じものです。
この体験の感じは、本当にマリアの意識に似ているので、今改めてそういうことだったのか、とその内容の意味がようやく納得出来た感じです。

さらに深い霊意識の世界につながる神秘体験はこういうものでした。
深い意識の中で、見えない声だけの聖者の誘導のまま、どの方向かは分かりませんが私は宇宙にいました。
その時、「宇宙のすべては愛から成っている」という、意識に感じる声が聞こえたと同時に、遠くに見える宇宙が上から下にかけて裂かれました。
無意識の中とはいえ、宇宙が鋭利な刃物で切り裂かれるように、その断面が見えるように宇宙が裂かれるなんてことは絶対想像もしないことで、その瞬間は本当に驚きました。
そして、その裂かれた宇宙の断面を見たとき、すべてが均等に完全バランス状に並んでいるのを見たのです。
その並んでいるものが何であるかは覚えていません。

その時、私の意識で感じたのは、「これが愛か」というものでした。
そう感じていたそばから、今度は左方向にある宇宙が斜めに裂かれました。
その時見えた断面も最初に見たものと同じでした。
こうして、自分に戻ったときに私が思ったことは、宇宙を創っている質量そのものが愛、宇宙のすべてに愛が浸透している。
分子や原子の一つ一つにも。
すべては愛から成っている。
そうか、愛はすべてを一つに結びつける力なんだ。
一体、イコール愛、それが神。

次元を根源神(創造神)までずっと上昇していっても、その次元界にある質量すべてに入っているものは、「愛」それしかない。
それはまた、人間の意識に下降しても愛なのです。
その人間的な表現が、誰もが理想として描くマリアの愛なのかもしれません。

私がこれまで勝手に思い込んでいたマリア像とは、おそらく360度回転したくらい衝撃的な感じを、このリーディングを通じて感じました。
これでまた、いろいろな謎が解けて来た感じがします。
「イエスの母マリアは、一体何者?」
こういうことです。
誰もが想像しているマリアと、今私が推測しているマリアでは、おそらくかなり違うのではないかと思っています。
これも、このリーディングのおかげです。

これから私の推測、といってもおそらく間違っていないと思っていますが、それを話してみたいと思います。
私がおこなって来た、これまでの数多くの人物を意識振動測定した経験則から、一つの比較が出て来ました。
それは、マリアの意識振動、愛のエネルギーは、それらの人と比較してどの程度のものかということです。
このような比較を通して、マリアの意識レベルのすごさも理解出来ると思います。

まず、マリアの振動は、これまで測定して来た相当高いアナハタ集中の癒し振動を超えているということです。
アナハタ集中の癒し振動を超えるレベルというより、ちょっと比較にならない霊的エネルギーと言っていいでしょう。
その答えは、マリアの愛のエネルギーはこの世のすべてと比べても、何倍もいやそれ以上に強いのです。
強いというのは、パワー的なものではありません。
その勢いとその振動の質と持続性など、すべてにおいてです。

おそらく想像はつかないと思いますが、簡単な比較例を出してみるとバレーのボールとテニスボールの大きさの違いくらいです。
テニスボールは、この世の最高の愛意識振動の人物となります。
こんな程度の開きではないと思いますが、とりあえずの比較です。

そこで、このような意識、またこのような愛の振動(エネルギー)を自然に出せるようになるためには、どのくらいの修行が必要なのかと考えてみました。
マリアが修行したということではなく、もしマリアレベルの愛振動(エネルギー)、そのレベルになるにはという単純な比較で私の全データから推測してみたのです。

その結果はこうです。
この世で最高の愛エネルギーであるマリアのレベルには、はっきりいってどんな修行をしても、また一人生の中で年齢的に考えても、どうしてもそのような意識に達することは出来ないという結論に至りました。
中には、それを可能とする人もいるかもしれませんが、そう考えると結局釈迦レベルになります。
やはり、どうみても私はそれ以外考えることは出来ません。
ということは、マリアもイエスの使命、霊的使命遂行のために準備された人となります。

イエスは、霊界の魂(意識)です。
誕生の瞬間、その魂が肉体に結び付けられるとき、果たして普通の振動レベルの肉体で耐えられるのか、と私は考えたのです。
新しい命を身ごもるということは、母体の波動振動が胎児の波動振動でもあるのです。
子供の体は、魂とつながるまでは、また本人の魂が肉体に入るまでは、母親の体の一部と考えていいのです。
これで、胎教には何が一番大事なことかが分かると思います。

「霊界の魂が入る肉体は、最高の愛の振動が浸透した肉体、そのレベルの肉体が必要」、そのためにマリアの意識が必要だったのです。
イエス降誕には、とても美しい、最高に純粋できれいなことすべてが準備されていたのです。
ですから、マリアは女性聖者だったんです。
女性聖者、「聖母マリア」、これですべてがつながります。
そして、そのことの裏づけとして考えていいことが、まだあるのです。

マリアの意識集中ポイントは、このアナハタだけで、他に集中点はありません。
イエスもそうですが、マリアも一つの集中振動ですべてを満たすというところが共通しているのです。
しかも、両者ともこの世においては最高振動、ということもです。
親子だから似ている、ではこの世的過ぎます。
悟りと癒しの超エネルギー振動はイエスとマリア。
この2つの最高のバランス意識が釈迦。
何だかんだ言っても、結局この世の意識はここに落ち着くんですね。

マリア大感謝!!